野球の未来

野球×科学

#11 [論文]投手の走り込み問題

今回は、日本の野球を象徴するこの話題について論文をもとに考えてみたいと思います。個人的に走り込みに対して思うところは山ほどありますが、自分の考えは一旦封印して論文の解説に努めます。笑

少し難しい話になりますが、よろしくお願いします。

 

まずは、野球の投球動作の特性について考えてみましょう。セットポジションから投球したとして、投球動作を完了してフォロースルーにたどり着くまでの時間は3秒もかかりません。ワインドアップの予備動作を含めてもいくら長くても5秒以内には投球動作(身体運動)は完了します。しかも、この動作は投手の最大(100%)に近いパワーを必要とします。このことから、投球動作は極めて瞬発的で強度の高い運動と言えます。この「短時間・高強度」というのが今回のミソです。短時間・高強度の運動である投球動作のパフォーマンスの向上に持久力的な要素をもつ走り込みがあまり有効とは言えない理由を2つのポイントから説明します。

 

①短時間・高強度の運動のエネルギーを供給する神経回路 (ATP-PC回路)

人間の運動には、車でいうところのガソリンと同じような「エネルギー源」が存在します。それがATPと呼ばれる物質です。この物質がエネルギーとなって人間の体は筋力を発揮することができます。そしてATPを供給するためのルート(神経回路)が3種類存在し、これらの使い分けは運動強度によって決まります。つまり、投球動作のような「短時間・高強度」運動の際にATPというエネルギー源を供給する神経回路と、走り込みのような長時間・低強度の際に使われる神経回路は全く違うものだということが言えるのです。いくら走り込みを行っても、それは投球動作に必要な神経回路とは全く別の回路を鍛えて、持久的運動の際のエネルギー源の供給能力を上げているだけなので、全くもって投球パフォーマンスには生かされていません。投球動作に使われるのと同じ神経回路をトレーニングすることで、初めて投球パフォーマンスが上がることが期待できます。ちなみに短距離ダッシュは短時間・高強度運動にあたりますが、これを20本も30本もやってしまうと、それはもはや人間の生理的能力の限界を超えているので、間違いなく1本1本全力で走ることはできずに、低〜中強度に強度は落ちてしまいます。

 

②筋繊維タイプとトレーニングの関係

この点については少し詳しい人なら耳にしたことがあるかもしれませんが、筋肉という”ひとつのかたまり”は何本もの細い繊維の束によってできていて、しかもこの繊維1本1本は2つのタイプに分かれ、速筋遅筋などと呼ばれています。つまり、ある筋肉(例えば上腕二頭筋;通称力こぶ)が100本の繊維からできているとして、そのうち60本は速筋繊維、残り40本は遅筋繊維といった具合です。軽いものを持つような強度の低い運動だと遅筋繊維が使われ、バーベルを持ち上げるような強度の高い運動では速筋繊維が使われます。この遅筋・速筋の配合割合は生まれた時点では遺伝などの影響によって決定されていますが、レーニングを重ねていくことでタイプが変わることも分かっています。簡単に言えばダッシュばかりしていると遅筋繊維も速筋に変わるし、持久走ばかりしていると速筋が遅筋にタイプを変えるということです。これを野球のトレーニングに置き換えてください。長時間に及ぶ走り込みばかりしていると、遅筋の割足が増えて、短時間で高強度の力を発揮する能力が落ちてしまいます。逆に瞬発系のトレーニングを重点的に取り組めば、本来遅筋だった繊維も速筋に変わるので結果として投球動作のような短時間・高強度運動の能力が上がっていきます。だから、普段の練習から瞬発系のトレーニングを取り入れていくことが、筋繊維タイプを必要な形に変化させていくという意味でも重要だと言えます。

 

この2点を考えると、走り込みによるメリットよりもデメリットの方が上回ってしまうように思えます。しかしながら走り込みを完全に否定するわけではなく、先発投手のように1試合で100球以上投げる場合には当然筋持久的な能力も必要になってくるので多少は「低強度・長時間」運動のメニューも必要になってくるかとは思います。それが必ずしもランニングである必要はありませんが。ただ論文のなかでは、味方の攻撃時に休息が取れるので持久的能力は必要ないと書いてありますが。そのあたりはトレーニングの内容による筋繊維タイプの適応を考慮しつつバランスのとれたメニューを組んでいく必要があるでしょう。

 

Potteiger, J. A., & Wilson, G. D. (1989). BRIDGING THE GAP—PRACTICAL APPLICATION: Training the pitcher: A physiological perspective. Strength & Conditioning Journal11(3), 27-31.

「ピッチャーをトレーニングする、生理学的視点から」